【書評74】なぜ、あながたリーダーなのか?

ロバート・ゴーフィー、ガレス・ジョーンズ著

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思考を形にする

本を読む目的として私が重視していることで、
「日頃なんとなくそう思ってるけど、はっきりと説明できないこと」
が、本の中の言葉を通して明確に認識できるようになる、
ということがある。

誰かの文章を読んでいて、
「ああ、私が今まで考えていたことってこういうことだったのかもしれない」
と気付かされることがけっこうある。

私は人材事業をやっていることもあって、色んな方から、
「自分がやりたいことがわからない」という相談を受ける。

でも、「やりたいこと」は
ある日突然天命がくだる訳じゃない。

実際に色んな経験をしてみるのが一番早いと思うが、
本を通じて得た他者の擬似体験でも、同じような効果が得られる。


今日ご紹介するのは、
会社の本棚の中から廃棄寸前のところを拾ってきた一冊。

リーダー論、マネジメント論に関するビジネス書は山ほどあるが、
期待せず読んだ割には、今まで漠然と思っていたことが私の中で
かなり「形になる」貴重な本だった。

しかも、翻訳本には珍しく文章が読みやすい。

リーダーの資質

●一つ目は、発言と行動が一致していることだ。
 自ら口にしたことは実行する、人に説いたことを実践するリーダーを、
 周りは「本物」と認める。
 逆に、自分では絶対やらないことを他人に求める行為などは、
 リーダーとしての正当性を著しく毀損する。

 二つ目は、首尾一貫していることだ。
 リーダーは、異なるタイミングで、異なる相手に対し、
 異なる役割を演じる必要性に迫られたとしても、
 「根底に流れるものは変わらず同じである」と
 周りに感じさせ続けねばならない。

 三つ目、最後の要素は「自分らしくあること」だ。
 簡単ではない。
 ただし、この「自分らしさ」こそが、
 首尾一貫性をかもし出す上での礎でもあるのだ。

●自らの強みを打ち出すことと、弱みをさらけ出すこと。
 自分らしさを押し通すことと、周りに同調すること。
 親密に歩み寄ることと、突き放して距離をとること。
 それをいかに巧みに達成できるかが、リーダーシップ発揮の核にある。
 三つのうち、一つか二つでは、真に人を動かすリーダーシップには足りない。

●弱みも「本物」でなければならない。
 本当に隠しておきたい自分の欠点から皆の注意をそらすために、
 何か別のものをひねり出すようなことは絶対に避けなければならない。
 人は、「偽物」を即座に見抜く。(中略)
 自分の短所を問われたとき、いかに多くの応募者が
 もっともらしくこう口にすることか。
 「わたしは少し野心的すぎます」、「私は皆に厳しすぎます」。
 そんな、弱みの衣をまとわせて、それとなく強みを持ち出そうとする姿勢が、
 どれほどうそ臭く見えることか。

●良いリーダーは常に、タスク志向とメンテナンス志向のバランスに気を配る。
 現在のチーム状況を踏まえて、どちらに振るべきか意識しながら
 バランスさせるのだ。そして基本的に不安定なそのバランスを、 
 時と場合に応じて変化させていく。
 極端な場合、一瞬一瞬で切り替えていく必要すらあるかもしれない。
 タスク志向で、即断即決が求められるときか。メンテナンス志向で、
 皆の意見を聞きコンセンサスを探るべきときか。
 そんな判断を繰りかえしていくのだ。

●リーダーの地位にあっても自分らしくあり続ける人は、
 自分が何者かを周囲に打ち出し続けている。
 そしてそれは、自らの来し方を自覚しているからこそ可能なのだ。
 しっかりと「根」が張られている。
 どうやって今の自分が形づくられてきたかを認識している。
 (中略)
 過去にはまったくなかったような局面、これまでの経験からは
 かけ離れた場面だ。優れたリーダーは、そのとき巧みに対処する。
 ずっとそうしてきたように、大きな変局点にも心地よく向き合うことが
 できるのだ。

「本物」のリーダーシップは、「自分らしさ」の中にある

本の中に、優れたリーダーの事例が
幾つかのエピソードとして織り込まれている。

その中の一人、「サラ」の場合が、
私の目指すリーダー像に近い気がした。

この世界で評価され受け入れられるために、
彼女が相当な自己研鑽を積んだことは間違いない。

しかし、彼女はもともとの自分らしさを決して失ってはいない。

海外を飛び回る中で幾分やわらいだとはいえ、
まだあからさま訛りを残して話す。洒落たホテルのラウンジでも、
雑多な繁華街のバーでも、同じように心地よくほろ酔いになっている。
皆を意外な場所にひきつれていくことも多い。

同僚たちもクライアントたちも、彼女を人間味あふれる人物として見ている。

また同時に彼女は、エリートたちが跋扈する高尚な市場・事業環境にも
ほどよく適応した。
良いリーダーが皆そうするように、なすべきことを果たす上で
必要十分な程度に同調したのだ。

彼女は、自分の役割をある意味面白がる余裕も持ち続けている。
彼女は彼女らしくあり続けてきた。しかし同時に、
成功した自分の姿を微笑みながら観察してるようなところもあるのだ。

彼女の同僚は、時折こう口にする。
「サラは驚くほどオープンだけど、どこか謎めいている」。
鋭い指摘だろう。

親しみやすくオープンであることと
感情に流されることなく常に冷静で客観的な判断力を保てること、
この二つのバランスをうまくとるのは案外と難しい。

私の以前の上司で、
着任中はすごく親しみやすくて温かい完璧なリーダーなのだけど、
そのチームのマネジメントを離れた瞬間から一切
個人的なつながりは持たない主義だという人がいた。

当時は淋しいような気がしたが、
今はその上司の気持ちがわかる気がする。

彼は心優しい立派なリーダーでありながらも、
部下に対して明確な線引きをしていたことで、常に冷静な判断力を失わず
新しい組織に移っても高いパフォーマンスを出し続けていられたのだろう。

チームを離れたあとも「元部下」を可愛がることが悪いとは思わないが、
そういう個人的な繋がりから、会社の縦の組織とは別に
横断的な派閥を作って妙な発言力を持ったりする役員クラスの人を
しばしば見受けることがある。

公私を切り離して考えれば問題はないのかもしれないが、
仕事は社員一人一人の人生の一部であることに違いはなくて、
上司は彼らの人生にどこまで入り込んでいいものなのか、
そもそも企業とはどこまで個人に対して責任を追うべきものなのか・・・

私にはまだそう簡単に答えが見付けられそうにない
課題である。。

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