
ベトナム事業部女性マネージャーによるベトナムビジネスブログ

昨年出版された『結局「仕組み」を作った人が勝っている』の
第二段。
「仕組み」=「自分がさほど動かなくても自動的に収入が得られるシステム」
と定義づけたこの本では、
様々な「仕組み」所有者の「思考」にスポットをあて、
具体的なビジネスモデルと「仕組み構築」までの経緯を
わかりやすく紹介している。
しかもここでいう「仕組み」とは、普通の人が1人で、
できる限り小資本かつローリスクで実現できるものでなくてはならない。
わかりやすいところでは、アフィリエイトや株式投資などがあるが、
この本で紹介されているのは、
単純なアフィリエイター、デイトレーダーということではない。
一つのアフィリエイトモデルを完全な「仕組み」として横展開していたり、
売買銘柄の決定をコンピュータのプログラム任せにし、
毎日ほんのわずかな時間を使うだけで株式投資が行えたり、といった
「手をかけずに莫大な収入をもたらすことに成功した人々」
だけを紹介している。
●「一番難しいのは、自分の裁量を入れず淡々と法則(ルール)に
従うことなんです」●「仕組み」を所有する最大のメリットは、「自分がどこにいて、
何をしていようと、収入の流れがストップすることがない」ということだ。●「仕組み」所有者は、「加算的」ではなく、「乗算的に」収入を伸ばしていける
●「知識・テクニックを身につけること」と「『仕組み』所有者になること」は、
イコールでは結びつかない。
知識・テクニックは必要条件に過ぎないのだ。●不動産投資をすると決意してから4カ月。
愛車を売り払ったり、ボーナス全額、月々の給料も半分近くを
貯金に回すなど涙ぐましいまでの努力をして資金を貯めるとともに、
物件探しを進めた。
(中略)
「いくら本を読んだりして研究していてもお金ははいってこない。
どこかで思い切って物件を購入しないと始まらないと、踏ん切りを
つけました。」●思いついたことをすぐに行動に移す。(中略)
「やるかやらないか。成功するかどうあは、そこにかかっている」
これは「仕組み」所有者が口をそろえて発する言葉だ。
だが、それだけでは言葉が足りないと思うのだ。(中略)
「仕組み」所有者のレベルを目指すには、アクセルを全開にする必要がある。
つまり、徹底的にやり抜くのである。
それは折れない心、というか迫力というか。その気概はすべての
「仕組み」所有者から、一種のオーラのように感じられた。そして、もちろん行動にもしっかりと表れていたのである。
若干趣旨がずれるが、
私自身、これまで様々な事業立上げの中で、
「誰でも回るスキーム」を作り上げることを常に心がけてきたつもりだ。
新規事業はリソースが足りないので、
一人で何役もこなさなければならない。
マーケティングも、企画も、営業も、DB作成も、経理も、法務的も・・・
もし今日私が倒れたらこの事業終わるんだろうなーと思うことは、
本当に何度もあった。
私個人としては、「私がいなきゃ進まない」ことが喜びだったし、
そのことに大きな遣り甲斐も感じてきた。
「あなたが必要」
「この仕事はあなたでないと」
そう言ってもらえることは誰だって嬉しい。
でも会社はそれでは絶対にいけないと、つくづく思うのだ。
個人のスキルや情熱に依存した事業モデルから一日も早く脱して、
「仕組み」を作り上げられる会社が勝ち残るのだろう。
そのことを初めて認識したのは、入社一年目だった。
当時、某ビールメーカーでシステム関係の仕事をしていた私は、
ある日、同期入社で東大出身のHくんにこう言われた。
「岡崎はもっと会社の歯車になることを考えないとだめだよ。」
私は彼のその発言に心底驚いて、
「何言ってるの!
私にしかできないような意味のある仕事をすることが
会社にとってもいいに決まってるじゃん!」
と飲みながら口論になったような気がする。
(↑青春ぽいなぁ・・・)
確かそのときは、正直、最後まで
「なんだよ、こいつ。ちっちぇえな!」と思っていたのだが(笑)
・・・彼より5年くらい遅れてやっとその意味がわかった。
もちろん個人が歯車になればいいとは思わないが、
自分がいなくても、誰がやっても、
同じサービスレベルを維持できる「仕組み」があるというのは
企業として本当に大事なことだ。
この顧客への普遍的に変わらない成果へのコミットを
人は「信頼」と呼ぶのだろう。
そのことを彼は私に諭していたような気がする。
でも、だ。
その日々の仕組みを動かすのは人間。
「私でなきゃダメな仕事をやりたいという個人の欲求」と
「一定のサービスレベルを保ち続けられる会社という仕組み」
この二つを融合させるのは、
我々ベンチャー企業にとっては至難の業だ・・・
で、ちなみに。
入社一年目で既に「歯車になること」の意味を完全に理解していた彼は
現在、日本有数の一部上場企業の本社人事部で
エリート街道をひた走っている。
元気かな。。
平日の早い時間に街に出ることなんて滅多にないのだが、
通勤で愛用の自転車が撤去されてしまって、
集積所が7時までだったので珍しく6時過ぎに会社を出た。
自転者を無事回収したあと、自宅へ向かう途中、
東京タワーを前方に望む国道一号線を通るのだが、
東京タワーがいつもと違う。
ブルーだ。

東京タワーの公式HPによると、
開業50周年記念新ライトアップ「ダイヤモンドヴェール」がスタート!
東京タワーが光のヴェールに包まれます!
東京タワーでは、12月23日に開業50周年を迎えるにあたり、
開業50周年記念月間となる12月1日より、新しいライトアップをスタート致しました。新ライトアップの名称は「ダイヤモンドヴェール」
「ダイヤモンドヴェール」を点灯した姿は、
まるで「貴婦人のような」と形容される東京タワーが、
ダイヤモンドヴェールを纏っているかのような純白の輝きに包まれ、
東京の夜景に新たな彩りを加えます。「ダイヤモンドヴェール」は全部で17段ある光の階層それぞれが、
七色に変化する機能をもち、色ごとに、メッセージが込められています。
メッセージの中心となっているのは、愛、地球、環境、平和を守る心をはぐくむことです。★ダイヤモンドヴェール トータルコンセプト★
1) 象徴性
東京のランドマークとして、大勢の方々に愛され親しまれている東京タワー。
人々の心に、それぞれの思い出と共に、深く印象づけられている
優しく、温かく、懐かしい光の象徴性を大切にします。2) 永続性
著しく変化する東京の風景の中で、変わらずに東京の中心に佇む東京タワー。
50年間の歴史を大切にすると共に、変化に対応して次なる50年を視野に入れた
永続性のあるデザインを指向します。3) 環境性
エネルギーに対する関心が高まる中、照明手法や運用方法などを工夫し、
省エネルギー型のライトアップを実施します。
■「ダイヤモンドヴェール」(新ライトアップ)概要
名称 ダイヤモンドヴェール
使用ライト数 276台
点灯開始日 2008年12月1日(月) 【週末や記念日に応じて不定期に点灯】
点灯時間 20:00~22:00(2時間限定)
ふうん。。。
東京タワーは時折、何かのイベントやキャンペーンで
色や装飾を変えたりするらしい。
実は私は東京タワーの真下近くに住んでいるのだが、
「灯台下暗し」とはまさにこのことで
その色の変化にほとんど気付いたことがない。
そもそも東京タワーって12時消灯で、
私が帰宅する頃にはだいたい消えている。
今日はやっと気付けたなぁ♪
そのあと新宿に用事があって南口に出てみたら、
こちらもイルミネーションがすごい。

っていうか、人が多くてびっくりした。
平日も、みんな夜景見たり、買物とかしてるんだね・・
こないだ会社のメンバーに
「岡崎さんは会社引きこもりですよね。」
と言われて、「おい!」と思ったが、
なかなかうまいなと思った。
自宅で引きこもるわけじゃないから
一見社会性があるようにも見えるんだけど、
引きこもる場所が自宅か会社かの違いだけで、
毎日深夜まで会社にいると
世の中の動きに対する疎さのレベルは確かにほとんど変わらない。
昔・・・新卒で入った会社では
「岡崎さん、会社は飲みに来るところじゃないんだよ」
と言われるくらい飲み会好きだったけど、
もう一生分くらい飲んだからいいや・・・
で、そんな会社引きこもりの私が久し振りに街に出たら楽しくなって、
一人で写真を取りまくったりした。
特に楽しかったのは、これ。

あなたの未来を映し出す 「祝福の泉」
中央のオブジェの手前に4つのボタンがあって、
そこから任意に2つボタンを選んで押すと、
白いお堂全体が、幻想的な効果音と共に
赤や緑の鮮やかな色の光で照らし出される。
色にはそれぞれ意味があって、
何色に変わるかで、ボタンを押した人の未来が占えるという。
●グリーン...豊かな未来
●レッド......情熱的な未来
●イエロー...幸せな未来
●ブルー......堅実な未来
●ピンク......あま~い未来
●ミックス...めくるめく未来
私はなんと、ブルーだった!
「堅実な未来」
「堅実」なんて、ここ数年の私には最も縁遠い言葉だ。
劇的、紆余曲折、七転八倒、青天の霹靂、、
そんな言葉しか浮かばないんですけど・・
何かの間違いかと思って、もう一回挑戦したら、
なんと二回目もブルーが鮮やかに灯った。。
もしかしたら来年こそ、
ようやく安定した穏やかな人生が訪れるのかも!
ちなみに、このイルミネーションの概要はこちら。
SHINJUKUサザンライツ2008-2009(新宿サザンテラス)
2008年11月5日~2009年2月15日
点灯時間/17:00~24:00(基本点灯時間)、16:30~(12月中)、12月31日は~翌1:00まで点灯 ※時間・日程は変更になる場合があります主催者: SHINJUKUサザンライツ実行委員会、小田急電鉄株式会社、タカシマヤ タイムズスクエア、東日本旅客鉄道株式会社
問い合わせ先: 新宿サザンライツ運営事務局
それにしても、
東京のイルミネーションのレベルって年々飛躍的に上がってる気がする。
どこも集客努力には余念がないのだなぁ。。
たまには会社帰りに街に出よう♪

先日恵比寿駅西口で配っていたフリーペーパーを手にした。
上質で光沢のある表紙と、
ずっしりとした質感。
見た目はまるで女性誌だが、開いてみたら
グルメと美容の店舗情報を掲載した広告媒体だった。
創刊一周年。
発行元はリクルート。
創刊時のプレスリリースによると、
株式会社リクルート(本社:東京都中央区 代表取締役社長兼 CEO:柏木斉)は、クーポンマガジン「HotPepper」のお姉さん版フリーマガジン『Lu*jo!(ルージョ)』を 2007年11月29日(木)に発刊致します。
■ 『Lu *jo!』のコンセプト ⇒東京在勤、 25歳以上の女性に向け、「ちょっと贅沢」「自分にご褒美」な情報を提供
「HotPepper」は、地域のお得な情報が探せるクーポンマガジンとして、F1層を対象に、日常シーンで使える飲食や美容などの情報を提供してきました。今回の新媒体『Lu*jo!』では、自分への投資を惜しまない東京在勤の25歳以上の女性に向け、「ちょっと贅沢をしたい」「自分にご褒美をあげたい」というニーズに応える情報を提供していきます。
『Lu*jo!』を手に取ってもらうことで、忙しく働く女性たちに、日々の生活が楽しみになるような予定を組み込んでもらいたい、そうすることでより豊かな生活を送ってほしい、と考えています。
「私の贅沢を予約するコンシェルジュマガジン」
なぬーーーーー。。
あのですね、これですね、
グルメ情報こそないものの、
ほぼ同じコンセプトで、そっくりな媒体を、
私、2004年に創ったんですう!
当時はHotPepper全盛期で、
街にはまだ物珍しかったクーポンマガジンが
溢れかえっていた。
クーポンマガジンの訴求力は本当にすごくて、
クーポンを切り取っていけば無条件に安くなる
⇒だから店の良し悪しはさておき、まずはお試し!
というロジックで多くの消費者を広告出稿主である店舗に誘導した。
初めはクーポンなんかで安売りしたくない、
うちのサービスをわかってくれるお客様にしか来て欲しくない、
なんて言っていた店舗側も、いつしかその集客力に屈し、
HotPepperはどんどんぶ厚く成長していった。
僭越ながら、そこに一石を投じようとしたのが、
私が企画をさせていただいた美容情報誌である。
クーポンは確かに魅力的だけど、
女性たちだって、本当に良いものにはちゃんとお金を払うし、
(現代の働く女性たちはそれなりにお金は持っているし、)
特に美容に関しては、安かろう悪かろうの情報なんていらない。
いいサロンが掲載されていて、
誌面上でそれぞれのサロンの特徴がきちんと比較検討できるなら、
クーポンマガジンよりも必要とされるはず。
そう信じて、
「美を追求するビューティコンシャスたちへ」
と銘打った。
「コンシャス」とは、意識している、意識的なという意味。
「ビューティコンシャス」は
ターゲットがブレがちな広告媒体に一本筋を通すための
キャッチコピーとして設定したもの。
日本語だと、「美意識が高い」などと表現できるかもしれないが、
かといって、月に何万も化粧品や美容に費やす、
美容オタクのような特別な人たちを指している訳ではない。
東京近郊で働く、可処分所得がやや高めのOL層なら、
そのほとんどが「ビューティコンシャス」にあたると考えた。
だって、エステサロンや美容室を選ぶときに、
値段さえ安ければあとはなんだっていい、
などという女性は聞いたことがない。
程度の差こそあれ、女性たちは少しでも効果のあるところを探そうと、
口コミや雑誌などで真剣に情報収集してサロンを選ぶではないか。
【自分へのご褒美】という
根拠があるんだかないんだかよくわからない女性特有の動機付けについても、
何度も議論を重ねた。
それは例えば1万円が高いか安いかという問題ではなくて、
自分が美しくなれるとかリラックスした気分が味わえるという
「効果への信頼」が、その金額に見合うと判断できるかどうかが重要なのだ。
そう考えて、誌面上で、店舗選びの判断を助ける工夫を随所に施した(つもり)。
しかも、広告媒体なので、
本を読むだけで満足してもらってはダメで、
最終的に一人でも多くの方が店舗に足を運んでくれるよう、
「予約する」というキーワードも重視した。
もちろん、紙質や掲載される写真には最大限にこだわった。
創刊後、広告主からは、
「御社の媒体を見て来店するお客様は、
単価が高くリピート率も高くて
HotPepperのお客様とは明らかに違う」
という嬉しいフィードバックもいただいたりした。
でもやっぱり、HotPepperの圧倒的な営業力やインフラには
勝てなかった。
それから時は流れて、おそらくHotPepperの効果も
以前に比べたら随分と弱くなったのだろう。
HotPepperのお姉さん版『Lu *jo!』を創刊の経緯はよくわからないけど、
本当に誌面の使い方が私の企画したものとそっくりなんだもの。。
結論としては、私のやろうとしていたことは、
時代が早過ぎたんだな。(笑)
確かに事業のやり方や
実際の掲載内容には色々と問題があったし、
時代の流れを読み取ることも勝ち残るのに必要不可欠な条件だけど・・
(ちなみ掲載店舗共通のポイントカードも超考えたのになー。。)
とにかく!
あれはやっぱり絶対必要とされる媒体だったと
私は今でも確信を持っている。
何か・・・?
私の母は経営者だった。
祖父の代に起こした家業なので起業家ではないが、
その精神力と働き方は、凄まじいものだった。
共働きの家庭すら珍しかった私の子供の頃に
母は従業員の身の上相談に朝まで付き合ったり、
月末の棚卸のため会社に寝泊りしたり、
普段は家に帰ると、私と兄に素早く食事を作って食べさせたあと
そのままリビングのソファやこたつで、
死んだように眠っていた。
私が中学生くらいになってからは、
オフコンと呼ばれる大型のコンピュータに在庫入力する仕事を、
従業員が帰ったあとの深夜のオフィスで母と二人でやったりした。
「史さんは覚えが早いからお母さん助かるわぁ」
と言われるのが嬉しくて仕方なかった。
月末は毎月大量の請求書発行業務があった。
当時はまだプリンターの技術も今程進んでいなくて、
深夜に出力処理をして紙をセットし、
家に帰って束の間の休息を取ったあとオフィスに戻ったら
紙詰まりでほとんど作業が進んでいないということがよくあった。
朝日の中で母ががっくりと肩を落とすのを見るのが
何より切なかった。
片道数時間の距離を、母が運転するトラックの助手席に乗って
配達について行ったりもした。
営業センス抜群の母はどのお得意先でも人気者だった。
帰りの遅い母を待って淋しい思いも随分したが、
パソコンなんて言葉もない時代に、
女だてらにコンピューターを使いこなす一方で、
大型トラックやフォークリフトも難なく運転できる
スーパーマンな母が私は大好きだった。
誕生日には従業員から大きなバラの花束が届いたりしていた。
私が大人になってから
母の会社と付き合いのあった、大企業の幹部クラスの方に、
「あなたのお母さん程頭のいい女性を僕は見たことがない」
と言っていただいたこともあった。
そのたびに私は誇らしげだった。
最近、そんな母の凄さが身に染みてわかるようになった。
父は普通に安定した企業のサラリーマンを定年まで勤め上げた人で
別に経済的に母の働きが絶対に必要な訳ではなかった。
それでも母は何かにつかれたようにいつも必死で働いていた。
家業のため。
従業員のため。
お客様のため。
そこには娘の私が呆れるほどに、
「私利私欲」が微塵もなかった。
「なんでもっと自分が得するように考えられないの!?」
高校生くらいになった私は
生意気にも母にいつもそう意見していた。
母は「そうなんだよねー」といつも笑ってた。
でも今なら私にもわかる気がする。
あの頃の母の想いが。
もし今ここにタイムマシンがあったら、
私は「あの頃の母」と話がしたいと思う。

週末、都内の二箇所の美術館で同時開催されている
ピカソ展を観にいった。
ピカソは、よく知られているように
作風がめまぐるしく変化した画家として有名であるが、
中でも私が最も印象的だったのがキュビズムの時代。
19世紀までの絵画は、対象物(神話、風景、静物、人物...)を
一つの視点によって描くというのが伝統だった。
そこに、対象物に自分の心象を反映させ、
さまざまな手法を使ってそれを絵にしたのが、
セザンヌやモネに体表される、いわゆる「印象派」である。
「キュビスム」はそこから更に新しい次元を用いたのだが、
それは複数の視点であり、対象物の分析という視点。
例えばギターはばらばらに分解されて、また再構成される。
また、絵画に実際の新聞紙を張り付けるなど
「異物」を混入させることで、絵画の意味を問い直す技法も見られる。
例えばこんなふうに・・・

私たちはよく、ピカソのような絵を「抽象的」と表現する。
だが、ピカソはこんなふうに言ったという。
この世の抽象的なんてものは存在しない。
すべては目の前にある物体から始まっているのだ。
ただ、それをその物としに認識しているのは
人間の意識の結果に過ぎなくて、
だから、私は目の前にある三次元の物体を、
一度自分の中でバラバラに分解する。
そしてそれをキャンバスの上で組み立てなおすのだ。
ピカソがどのような意図を持ってこう言ったか
凡人の私には想像も及ばないが、
ピカソの絵を見ていて私の中で考えたことがあった。
目の前の事象を楽しいとか悲しいとか思うのは、
ただ私の「意識」が勝手にそう判断しているだけなのかもしれない。
つまり、これは「正しくないこと」だとか「ありえないこと」だとか
日々私が判断していることにはなんの事実性もなくて
目の前で起きていることは目の前で起きていること、
ただそれだけなのだ。
その人の過去の経験や価値観からくる「意識」というフィルタが
人間に様々な感覚をもたらしていて
私たちはその「自分の感覚」という不確定なものを
あたかも普遍の真理でもあるかのごとく思い込む。
ピカソの絵のように、
一度全部ばらばらにして組み立て方を変えてしまえば
同じ事象も全く違った形で見れるようになるかもしれないと、
そんなことを考えた。。
それともう一つ、
ピカソの絵を見ていて思ったことがある。
キュビズムの考え方は
新規事業の立上げに似てるかもしれない。
例え市場や業界が違っていても、
そこには必ず一貫した法則みたいなものがあって、
私は、新規事業を手がけるとき、
その私の中の型みたいを、一度全部バラバラに分解する。
そしてもう一度、時流やターゲットという新しい概念、
また、業界事情や競合といった逆風、つまり「異物を」混入することで、
私なりのイメージを適切な形に再度組み立て直すのだ。
「感覚はデフォルメ(歪形)し、精神はフォルメ(形成)する」
まさにその通りだなぁ・・・
っていうか、最近私余計なこと考え過ぎかなぁ・・・(笑)